1月、母の悪性リンパ種が良くなってきて、食欲も増して杖無しで歩けるようになり、ついには趣味のグランドゴルフを再開するまでに至った。医大病院には治療が終わり検査のため3ヶ月に一回程度の通院と毎日の投薬で済みそう。

1月の仁淀川堤防
2月突然始まったイラン戦争で中東経由の便が全滅したため4/1~5/15に予定していたエジプト、ギリシャ、イタリア、ドイツの真寿美を連れての旅行もキャンセルした。予定が無くなったので母の様子を見に帰省することに。4/12、ロードスターで坂出まで高速利用し坂出から一般道というルート。9時出発、17時到着。母はいつものヨギボーに寝そべってテレビを見ている。途中道の駅で買ってきた母の好物の筍を糠でゆがいて下ごしらえ完了。明日は地域のみなさんとのグランドゴルフの練習日、嬉しそうに話す。翌日、待ちきれなかったのか迎えの車に乗らず歩いたようだ。さてこちらもウォーキングといこう。

4月の仁淀川堤防
近くの仁淀川堤防を1時間ほど歩き帰宅。着いた途端母から着信。
母、「しゅんちゃん、腰が痛くて歩けんわ」
俺、「迎えにいこか?」
別の男性、「送って行くし待っといて」
俺、「あ〜はい」
すぐに到着、しかし立つことも出来ず腕を支えてやっとこさ玄関へ。
ベッドに横になるように言ったが居間のヨギボーに埋もれるように寝る。
俺、「ど〜した」
母、「1ラウンドして2ラウンド目に振り回した時に気絶するばぁ〜痛かった。背骨が折れちゃあせんろ〜か、おー痛い、痛い」
俺、「折れたら歩けんやろ」
母、「そうお?おー痛い痛い」
俺、「何か食べる?買ってくるわ、軽いもんでええやろ?プリンなんかどうや?」
母、「プリンでもなんでもええわ、おー痛い、痛い」
俺、「ほら、プリンやで、起き上がりや」
母、「痛うて身体を起こせんし、腕を持って引き上げてや」
俺、「いくで」
母、「痛い!腰が動かせん!」
そこへ妹の道子登場。
道子、「圧迫骨折じゃないかえ?〇〇整形外科に行くかえ?」
母、「16日、医大にいかないかん、おー痛い痛い」
道子、「そうよねぇ、薬も無くなるわね」
あの病院この病院のやりとりがしばらく続き、結局昼から近くの母が希望する整形外科へ行ってみることにして一旦道子退場
昭充と道子、「救急車呼びや、医大に行ってほしい言うたら行ってもらえるかもしれんで」
俺、「そうやな、119するわ」
母、「そんな大層な」
俺、「しかし腰を動かすこともできんかったら道子と俺で運ぶこともできんよ、ストレッチャーも無いし、救急車呼ぶしか無いやろ」
母、「そんな体裁悪い、おー痛い痛い」
俺、「サイレン鳴らさんように来てもらうわ」
119、「火事ですか、救急ですか?」
俺、「母が腰が痛くて動かせん、言うてます」
症状を伝え場所の確認し日高から行くのでちょっと待ってくださいとのやりとりが続く
119、「どうしました?」
母、「1ラウンドして2ラウンド目に振り回した時に気絶するばぁ〜痛かった。背骨が折れちゃあせんろ〜か、おー痛い、痛い」
事情を聞き隊員3名でなんとか担架に乗せる
119、「いっしょに乗ってください」
俺、「3日後、医大でリンパ種の検査にいかなあかんし、医大に転送してほしいんやけど」
119、「連絡したら、かかりつけ課が違うので近くの救急に頼んでくれ言うてます」
俺、「ほんならどこでもええわ」
119、「近くの〇〇病院が受け入れOKです」
歩いて5分の〇〇病院へ救急車で到着
レントゲンとMRIを撮り終わる
担当医、「どうしました?」
母、「1ラウンドして2ラウンド目に振り回した時に気絶するばぁ〜痛かった。背骨が折れちゃあせんろ〜か、おー痛い、痛い」
担当医、「圧迫骨折ですね」
こうして2ラウンド途中で退場となった母は入院となっていったのであった。
